・尾上 薫教授時代
昭和43年6月、尾上 薫が大阪大3内科講師から、初代教授として赴任して口腔生化学講座が開講した。助手として旭 正一(昭和46年まで、産業医科大学名誉教授)が同時に赴任した。昭和44年には岸本忠三(昭和47年まで、元大阪大学総長)と岸本智寿子(昭和44年末まで、元大阪警察病院内科)そして池田正春(昭和48年まで、産業医科大学名誉教授)が助手として、また福田富男(1保助手、昭和53年まで、歯科医院院長)、林 俊行(研究生として昭和44〜45年、後助手として昭和51年まで、内科医院院長)らも参加して陣容が整った。昭和46年には垣本毅一(1内科院生として昭和50年まで、のち昭和56年から62年まで助教授、原土井病院内科医師)が参加し、IgM 抗体分子の構造解析とその生物学的作用などを中心とする研究が精力的に行われ、世界のこの分野をリードした。昭和48年には大石正道(昭和54年まで、九州大学名誉教授)が助手として参加したのを機に、細胞性免疫に関わる
T リンパ球の活性化機構、特にこれに関与するマクロファージやマクロファージ因子に関する研究にも着手し、研究領域を拡大した。また、同年古賀敏生がカリフォルニア大学から助教授として赴任して、細菌細胞壁の免疫アジュバント作用とアジュバント関節炎誘起成分の探索などの研究も精力的に行われた。昭和49年になると、前田勝正(昭和53年まで、九州大学教授)が歯学研究科の院生第一号として入学し、また矢川克郎(昭和53年まで、第一製薬)が3内科院生として、また玉田隆一郎(昭和51年まで、病院院長)が2外科助手から、そして昭和50年には加藤暢生(昭和51年まで、内科医院院長)が熊本大体質研内科から、山本雄正(昭和53年まで、病院内科医師)が1内科から、萱島孝二(のち助手として昭和52年〜54年まで、外科医院院長)が1外科から、そして相田宣利(のち助手として昭和54年〜55年まで、九州大学准教授)が院生として尾上研に参加した。昭和52年には坂本 茂(昭和55年まで、病院院長)が3内科から、入部英明(後昭和54年より助手、63年から講師として平成2年まで、歯科医院院長)が院生として尾上研に入った。研究は、免疫グロブリン
Fc 受容体の精製と性質解明、アジュバント関節炎への調節性 T 細胞の関与などへと領域を拡げ、著しい発展を遂げた。
・古賀敏生教授時代
昭和55年、尾上教授が熊本大学医学部免疫医学研究施設、生化学部門の教授として転出したことにともない、古賀敏生が教授に昇任した。田中稔夫(昭和56年まで、歯科医院勤務)と院生だった入部英明が助手に就任し、古賀研はスタートをきった。合成
MDP 刺激にともなうマクロファージからのサイトカインの放出ならびに作用に関する研究が精力的に行われ、またマクロファージのみならず、線維芽細胞からも同様のサイトカインが産生されることを初めて報告した。昭和56年には、垣本毅一が九大温泉治療学研究所(現生体防御医学研究所)気候内科から助教授として、平田雅人が医学部臨床薬理から助手として赴任し、古賀研は陣容が整った。同年に末松栄一(昭和59年まで、九州医療センター)が3内科院生として加わり、また昭和57年には広藤卓雄(昭和61年まで、福岡歯科大学教授)が大学院に入学した。橋本俊彦(昭和60年まで、内科医院院長)と浜地貴文(昭和62年まで、九州大学講師)がそれぞれ3内科院生、1保院生として加わったのも昭和57年であった。研究面ではアジュバント関節炎に加えて、II 型コラーゲンによって誘導される関節炎(コラーゲン関節炎)の発症機序に関する研究が行われ、II 型コラーゲンに対するモノクローナル抗体による受身移入実験や II 型コラーゲンの最小有効ペプチド断片の調製、関節炎発症活性をもつ T 細胞株の樹立などの研究が世界に先駆けて行われた。また、マクロファージを用いた走化性因子刺激にともなう細胞内
Ca2+ 動員機構やイノシトール1,4,5-三リン酸の作用に関する研究などへと拡がりをもつようになった。昭和59年には笹栗俊之(昭和61年まで、九州大学教授)が2内科院生として古賀研に参加したのをはじめ、椛島浩明(昭和63年まで、九州大学助教)、香月(現姓浜地)みどり(昭和63年まで、歯科医院院長)、久木田昌隆(昭和63年まで、歯科医院院長)の3名が大学院に入学した。昭和60年には木村裕一(のち助手として平成2年まで、奥羽大学教授)が大学院に入学し、池辺哲郎(のち助手として平成5年まで、福岡歯科大学教授)が2口外院生として、そして石松豊洋(平成1年まで、医院院長)が2外科院生として加わった。その後、山口浩二(医学部放射線院生、昭和61年〜平成1年まで、内科医院院長)、樽谷 晋(1口外院生、平成1年〜平成4年まで、歯科医院院長)、弥永富美(2口外院生、平成1年〜平成4年まで、九州大学講師)、首藤敏秀(整形外科院生、平成2年〜平成5年まで、病院整形外科部長)、池末敬二(2補院生、平成2年〜平成5年まで、歯科医院院長)、兼松 隆(2補院生、平成2年〜6年まで院生、平成6年より助手、平成10年〜21年まで助・准教授、広島大学教授)、吉田昌子(2口外院生、平成3年〜平成7年まで、米国留学中)、自見英治郎(1口外院生、平成4年〜平成7年まで、九州歯科大学教授)らがそれぞれ加わった。平成5年になると、宗 孝紀(平成5年〜平成9年、東北大学准教授)が薬学部院生として加わったのをはじめ、伊藤博夫(平成5年〜平成10年、徳島大学教授)が大阪大口腔治療から助手として赴任した。平成7年には竹内 弘が2口外院生として加わり、平成8年には吉村研治が生化学講座の大学院生として入学した(平成8年から平成12年まで、歯科医院院長)。このように学部内外から多くの若く優秀な院生諸君が集まり、学際的研究が活発に行われた。ペプチドグリカン特異的
T 細胞の受身移入による遅延型過敏症の発症の誘導、軟骨細胞に対する種々のサイトカインの影響の検討、骨細胞の情報伝達機構、線維芽細胞由来 T 細胞活性化因子の性状解明、抗イディオタイプ抗体のコラーゲン関節炎発症調節、免疫寛容の機序に関する研究、抗原—抗体複合物の分子構造解析、新規のイノシトールリン酸結合蛋白の発見などが特筆すべき成果である。
・平田雅人教授時代
平成8年、古賀教授の停年退官にともない、平田雅人が後任教授に昇任した。尾上研、古賀研と連綿として続いていた伝統を踏まえ、自由で活発で学際的な教室を作り、国際的に通用する生命科学研究を目指して、平田研は幕を開けた。松田美穂が九大遺伝情報実験施設の日本学術振興会特別研究員から助手に就任し、現在も助教として在籍している。平成9年には日高 聖(平成13年まで、長崎大学助教)と山本忠昭(平成13年まで、歯科医院院長)が小児歯科、歯科矯正の院生としてそれぞれ平田研に参加した。教室で発見された新規のイノシトールリン酸結合蛋白に関して多面的なアプローチでその細胞内機能の解明を目指している。また、一方で軟骨性骨化の機構の解明や細胞に対する力学的ストレスの影響などへと研究領域を広げていった。
平成10年4月には助手の伊藤博夫が鹿児島大学歯学部予防歯科の助教授として転出した。代わって、大学院過程を終え学位を取得した竹内 弘が助手に就任した。竹内 弘はハーバード大学留学などを経て助手・助教・准教授を勤めたが平成24年に九州歯科大学教授に昇任した。平成10年4月にはまた1口外・助手の松木範明がベッドフリーの1年間イノシトールリン酸/リン脂質と発がんとの関連に関する研究を行った。その後口外に帰ってからも折りにふれて研究を継続して、平成13年には学位を取得した。松木は岡山理科大学の教授となり活躍している。平成11年には大学院生として、宇治綾子(平成15年まで、歯科医院院長)、秋山孝子(平成15年まで、竹内 弘と結婚)、土井良順子(平成14年まで、北海道で医師)の3名が加わった。また1口外のインドネシアからの留学生、フェリーサンドラ(インドネシア大学)が研究の継続のため、平成14年まで教室に参画した。
平成12年4月には九州大学の機構改革によって、九州大学・大学院歯学研究院・口腔常態制御学講座・口腔細胞工学研究分野と名称が変わった。また、新築のコラボ・ステーション I の5階に研究室を移設した、建物の性格上、医学研究院や薬学研究院などを含めた更なる共同研究の推進が求められるようになった。3月には吉村研治が学位を取得して、宇宙開発事業団の研究員として転出した。4月になって照沼美穂が口腔細胞工学の大学院生として入学したのを始め、原田佳枝も歯周疾患制御学分野から大学院生として教室に参加した。照沼、原田両名ともに平成16年には学位を取得した。照沼は、大学院在学中に日本学術振興会特別研究員 (DC2) に採用された。修了後は英国ならびに米国に渡り UCL、ペンシルバニア大学、タフツ大学で研究員として活躍している。原田は広島大学の補綴科での医員をへて、現在は広島大学助教として活躍している。日高 聖は平成13年1月には学位審査を終え、米国・国立環境衛生研究所(NIEHS)に留学した。3月には山本忠昭が学位を取得して矯正科の研修医となり、現在は歯科医院院長として活躍している。同13年には後藤英文が口腔細胞工学の大学院生として入学し、井上良介(特殊歯科総合治療部)も参画した。後藤と井上は平成17年には学位を取得して、それぞれ歯科医師、九州大学助教として勤務している。そして、平成14年には倉谷 (溝上) 顕子(4月から)、村上絢子(7月から)、柳堀 (森田) 聡子(12月から)が口腔細胞工学、歯科矯正学分野、インプラント・義歯補綴学分野からそれぞれ大学院生として入学した。倉谷、村上、栁堀いずれも平成18年には学位を取得した。倉谷は大学院在学中に日本学術振興会特別研究員 (DC2) に採用され、平成19年度まで研究を継続した。その後出産・育児を経て、平成22年度から日本学術振興会特別研究員 (RPD) に再び採用されて口腔細胞工学で研究している。また村上は歯科矯正での医員を経て、平成24年4月から口腔細胞工学の特別研究員として活躍している。栁堀は歯科医師として活躍している。平成15年になると安永 敦が歯科矯正からの大学院生として教室に加わり、彼は平成19年には学位を取得して、現在は九大病院の歯科矯正科で活躍している。平成16年になると、藤井 誠が米国デューク大学の博士研究員から、口腔細胞工学の学術研究員となった。途中、日本学術振興会の特別研究員にも採用され平成22年まで在籍した。その後、香川大学医学部助教をへて、現在は福岡大学医学部の講師として活躍している。平成17年には塩井誠次郎が薬学府を修了して、学術研究員に就任した。これは兼松 隆助教授が九州大学・研究スーパースター支援プログラムに採用された研究費によってサポートされたものであった。塩井は2年後には福岡大学アイソトープセンター准教授に就任した。同17年10月には、中華人民共和国・河北医科大学から高靖 (Jing Gao) が研究生として来日し、翌年から平成22年まで大学院生として在籍し、現在は研究分野の助教を勤めている。平成19年には杉原恵美が全身管理歯科の大学院生から教室に参画した。平成22年には学位を取得して、現在は九大病院で活躍している。平成20年には梅林久範が口腔細胞工学の大学院生として入学した。日本学術振興会の特別研究員 (DC2) に採用されたので、平成24年に学位取得後は PD として引き続いて教室で研究を行っている。堤 康史郎がクラウンブリッジ補綴学分野の大学院生として教室に参加した。堤は日本学術振興会の特別研究員 (DC2) にも採用され、学位取得後、学振の PD を務めていたが平成24年3月市中の歯科医院へ就職した。同20年には歯科麻酔科から田中寛人が大学院生として教室に加わったが、途中で広島大学教授に昇任・移動した兼松 隆に師事していたために、研究活動は広島大学で行った。平成24年には学位を取得して市中の歯科医院へ就職した。平成20年10月には中華人民共和国・河北医科大学から張釗 (Zhao Zhang) が研究生として来日し、翌21年からは大学院生として在籍している。平成25年に修了予定である。平成22年には杉山悟郎が口腔顎顔面外科学の大学院生として、また10月からは小谷美穂が歯科矯正学から大学院生として参加した。杉山は平成24年に学位を取得したが、引き続いて学術研究員として研究を継続していたが、7月からは助教に就任した。平成23年になると王大光が口腔細胞工学の大学院生として入学し、長野公喜が口腔顎顔面外科学の大学院生として、研究室に加わった。平成24年には安武 雄と平田牧子ならびに大谷崇仁が、歯科矯正学ならびに口腔学顔面外科学の大学院生として教室に参加した。准教授の竹内 弘が平成24年7月1から九州歯科大学・健康増進学講座・口腔応用薬理学分野の教授に昇任移動した。
このように、教員ならびに大学院生の出入りはあるが、これらの人材を擁しながら一貫して、1992年に教室で発見した新規の Ins(1,4,5)P3 結合性タンパク質の生理機能の解明を目指して多面的な解析を行っている。初めはこのタンパク質の発見のきっかけになった Ins(1,4,5)P3 を結合するという観点から研究をすすめていたが、相互作用する分子として、GABARAP(GABA 受容体結合性タンパク質)や PP1(タンパク質脱リン酸化酵素)を発見したことが契機になって、最近では GABA 受容体の機能、開口分泌、エネルギー代謝、骨代謝、生殖機能との関連へも研究を広げている。
(平成24年7月1日現在)